こんにちは。
インデックス投資アドバイザーの カン・チュンド です。
1990年代、運用会社が投資信託を直接販売する
というアイデアそのものが斬新でした。
また、コストが安い
「インデックスファンドシリーズ」を設定する、
ということも画期的でした。
これを実現した【日興パレット】は、
投資信託の勢力図を塗り替える、
まさに「さきがけ」であったといえます。
2000年代に入ると、
(もう、この頃にはわたしもFP事務所を開業しています!)
日本では複数の運用会社が
【インデックスファンド・シリーズ】を立ち上げます。
たとえば、
○ プルデンシャルインベストメント
「PRUマーケット・パフォーマーシリーズ」
○ 日興アセットマネジメント
「年金積立シリーズ」
○ 中央三井アセットマネジメント
「インデックス・ファンドシリーズ」などです。
(知っている!という人もいるのでは...)
あっ、そういえば、
日興アセットマネジメントの「年金積立シリーズ」では、
【年金積立インデックスファンド
海外新興国(エマージング)株式】
それから、
【年金積立インデックスファンド
海外新興国(エマージング)債券】の
【運用管理費用】(信託報酬)が
それぞれ、0.5775%、0.546%に引き下げられています。
(なんだか嬉しいですね! 消費者の目線に立っています。)
今、お話したような
「インデックスファンド・シリーズ」は、
ネット銀行、ネット証券などを中心に
少しずつ「販路」を拡大していきました。
当初は、購入時手数料が2.1%だったり、
1.05%だったりしたのですが、
徐々に、
【ノーロード型】(購入時手数料ゼロ)が
主流になっていきます。
ファイナンシャルプランナーとして
わたしはこの「プロセス」を
リアルタイムで見てきましたが、
・商品の選択肢が増え、かつ、
・ひとつの販売会社で買える
インデックス・ファンドが増えていくのを見るのは、
感動的ですらありました・・(ホントです!)
そして、2008年に
エポックメイキングな出来事が起こりました。
住信アセットマネジメントという運用会社が、
新興国の債券、REIT(不動産投資信託)を含めた
包括的な「インデックス・ファンドシリーズ」、
【STAMインデックスファンド・シリーズ】を
立ち上げたのです。
パチパチパチ!!
※STAM は「スタム」と読みます。
同シリーズは、投資信託選びの
【基準】を塗り替えた商品として、
高く評価できるとわたしは思います。
<STAMシリーズの功績>
1.主要なネット証券会社すべてで
取り扱われる初めてのインデックス・ファンドとなった。
楽天証券、マネックス証券、SBI証券、カブドットコム証券の、
4大ネット証券会社すべてで取り扱われた
意味合いは大きいです。
(現在は販売会社が20社を超えています!)
たくさんの販売会社が
STAMのファンドを取り扱うということは?
一社、一社の取扱高は少なくても、
【販売ルート】が多様化していることで、
ファンドの【純資産額】が
積み上がりやすい状況が生まれました。
(これはまさしく、ファンドが
【長期にわたって存続する可能性が増した】ということ。)
2.(ネット証券会社の判断もあり)
STAMシリーズのファンドがすべて「ノーロード型」となった。
複数のネット証券会社で取り扱うことで、
【競争原理】が働きやすくなったということでしょう。
3.国・地域の分散、資産の分散に留意し、
9本の「ラインナップ」を揃えた。
つまり?
つまり「ノーロード型インデックス・ファンド」のみで、
多彩な【ポートフォリオ】が構築できるようになったのです。
(これも大きな功績でしょう..)
4.大手都市銀行(住友信託銀行)の子会社が
設定しているという安心感
もともと信託銀行は、年金運用において
インデックス運用を長年実践してきました。
その信託銀行の子会社が運用する「インデックス・ファンド」
という意味で、消費者に安心感を醸成している面があります。
※ 実は4月1日より、
STAMシリーズの「名称」が変更になります。
例えば STAM グローバル株式インデックス・オープン は、
SMT グローバル株式インデックス・オープン に変わります。
○ 要はSTAMが、SMTに変わるだけです...。
この名称変更の理由は、
住信アセットマネジメントと
中央三井アセットマネジメントが【合併】し、
4月1日より
【三井住友トラスト・アセットマネジメント】になるためです..。
(現状、STAMファンドシリーズをご所有の方に
特別な手続き等は必要ありません...)
こんにちは。
インデックス投資アドバイザーの カン・チュンド です。
○ もし、資産運用業界に
「良心」というものがあるなら、
真に投資家の利益に叶うような
金融商品が登場してくるはずです・・。
(1940年代の無名投資家 A・H)
実際、
・1975年
「バンガード500インデックス・ファンド」が登場
・1993年
「スパイダーS&P500 ETF」が登場
という【沿革】を辿ってみると、
たしかに、
資産運用業界にも「良心」は存在したといえます。
ところで、
日本における「インデックス・ファンドの歩み」は
いったいどうなっているのでしょうか。
日本は欧米よりも
インデックス・ファンドの歴史が浅く、
全投資信託に占めるインデックス・ファンドの割合も
まだまだ低いです。
(ちょっと過去を振り返ってみましょう・・)
1985年、
国際投信委託(現在の国際投信投資顧問)が
国内初の「インデックス・ファンド」を設定しました。
この頃から、いわゆる年金運用において、
日経平均型、
東証株価指数(TOPIX)型インデックス・ファンドの運用を
複数の金融機関が始めます。
また、今日でも運用を続けている
日興アセットマネジメントの「インデッスファンドTSP」は、
1986年2月に設定されたファンドです。
(なんと満26歳!)
これはもちろん、
私たち「個人投資家向け」ですね。
(純資産額は200億円を超えています・・)
その後、個人投資家向けには、
(今でも懐かしく感じますが、)
「MSCIインデックス・セレクト・ファンドシリーズ」
などが存在しましたが、
選択肢としては、
日経平均、東証株価指数との連動を目指す
インデックス・ファンドがほとんどでした。
そんな中、1998年に
日興アセットマネジメントが運用する
【日興パレット】が登場します。
(複数のインデックスファンドが選べるので
【パレット】か!いい、ネーミングですね・・)
日興パレットは
個人投資家にフォーカスしたおそらく初めての
「インデックス・ファンドシリーズ」であり、
【国内株式】【国内債券】【外国株式】【外国債券】の
インデックス・ファンドから
自由に選択することができました。
※ 外国株式、外国債券の「外国」は、
いわゆる「先進国」のこと・・。
このインデックスファンド・シリーズの特徴は2つ。
1.購入時手数料なしのノーロード型ファンドだった。
(1998年当時、ノーロード型というのは、
とても大きなインパクトがあったのでは・・)
2.運用会社が直接販売する
いわゆる【直販方式】だった。
(時代に先駆けていますね・・)
当時も今も、
投資信託という「商品」では、
運用会社よりも販売会社の力が強いのが実情。
おそらく、
メーカーが「直接」販売する形だったからこそ、
ノーロードが可能になったのでしょうね。
(ただし、パレットの運用期間は2008年まででした・・)
○ 考えてみますと、
インデックス・ファンドと
ノーロード型(購入時手数料なし)というのは、
【同時進行】で広がっていった感があります。
米国においては、多くのインデックス・ファンドは
その初期の頃から「ノーロード型」でした。
これは、継続コストが低いインデックス・ファンドに、
購入時の手数料を課すことがそぐわないと判断した
販売会社、運用会社の「判断」に拠るところが大きいです。
また「バンガード500インデックス・ファンド」のように、
運用会社が【直接】投資家にファンドを販売する
(直販する)ケースが多いため、
比較的ノーロードにしやすい素地がありました..。
実は、米国において
ノーロード型ファンドが広まるきっかけとなったのが、
アメリカのオンライン系証券会社
チャールズ・シュワブの【One Source】サービスです。
1992年に、チャールズ・シュワブは
他社、自社の系列に囚われず、
多数の投資信託をネット上で取り扱う
【One Source】サービスを始めました。
コンセプトはズバリ、
【ファンドのスーパーマーケット】です。
このとき、
販売チャネルとしての優位性を保つため、
取り扱う投資信託の多くを
ノーロード型にしたといいます・・。
今日チャールズ・シュワブで扱っている
6000本以上の投資信託のうち、
約2,000本がノーロード型となっています。
(ひとつ注意点なのですが、
たとえ購入時手数料をゼロにしても、
販売会社には運用管理費用(信託報酬)の
「一定割合」が収入として入ってきますよ..)
日本では、
円建てMMF、MRF、中期国債ファンドなどを除いて
ノーロード型のファンドは存在しませんでしたが、
1996年、スーパーバリューオープンが
リスク型投信としては初めて
「ノーロード型ファンド」となりました。
【物事は少しずつ、
よい方向に変わってきているのです・・】
(続く)
こんにちは。
インデックス投資アドバイザーの カン・チュンド です。
市場平均そのものに投資を行うという奇行?に出た
バンガード社が(まさか)成功を収めようとは、
1970年代の業界関係者の誰ひとり
思っていなかったのではないでしょうか・・。
当初苦戦した
「バンガード500インデックス・ファンド」ですが、
1980年代後半から、
少しずつ「資産残高」を伸ばしていきます。
「やっぱいいモノは、放っておいても認められるのね!」
と思っているあなた。
んー、話はそれほど単純ではありません・・。
(これは金融商品に限ったことではありませんが、)
どんなにいいモノでも、
時代と「シンクロ」しないと、
なかなか急速には広がっていかないものです。
わたしはアメリカで「インデックス・ファンド」が
普及した理由は【3つ】あると考えています。
1.1978年に401K(確定拠出年金)が導入されたこと。
米国では、多くの従業員が
「401K」(確定拠出年金)を通じて、投資と出会い、
投資と向き合うようになりました。
公平性の観点から、
401Kのラインナップの中に、
「アクティブ・ファンド」と並んで、
「インデックス・ファンド」が品揃えされたことは
大きいと思います。
(言い方を換えると、401Kを通じて、
投資ビギナーの方がインデックス・ファンドを
目にする機会に恵まれた、といえますね・・)
2.1980年代後半〜90年代を通じて、
アメリカ株式市場がまれに見る
【長期上昇相場】であったこと。
投資を続ける「最大のインセンティブ」は、
何でしょうか?
答え) 投資で「利益が出る」こと。
株式市場が上昇すれば、
インデックス・ファンドのリターンはプラスになります。
インデックス投資の【成功体験】を持つ人が増える
⇒ インデックス・ファンドを選択する人が増える・・
という、「好循環のサイクル」が
アメリカでは生まれたのです。
3.アセットアロケーションを組むという考えが浸透したこと。
プラスのリターンのみを夢想する投資家は、
「下落局面」で手痛いダメージを受けます。
なぜなら、
【リスクを管理する】という発想がないためです。
1980年代、90年代を通じて、
アメリカの投資家はリターンを追求するだけでなく、
分散投資によって
リスクを低減させる【意義】を学びました。
(アカデミックな分野での
「理論補強」も大きな役割を果たしたのです)
結果として、リスク分散効果が高い
「インデックス・ファンド」を保有する人が増えました。
(今となっては信じられないことですが)
バンガード社が運用する
「バンガード500インデックス・ファンド」は当初、
1100万ドルの純資産で運用をスタートさせました。
それが1999年末には
「1000億ドル」(1ドル=80円換算で8兆円)まで
資産残高が膨らみます。
そして、2000年には、とうとう
当時アメリカで最大の投資信託であった
「マゼランファンド」を抜いて、
全米でもっとも大きなファンドとなりました。
【あっ、ここ、もっと驚くところですよ!】
インデックス・ファンドが
あらゆる投資信託の中で、
最大規模のファンドになるなんて、
業界関係者の誰ひとり
予想していなかったのではないでしょうか・・。
ところで、そのバンガードの
インデックス・ファンドって、今でも在るの?
はい、もちろんございます!
「バンガード500インデックス・ファンド」
◆ バンガード社の功績は、
「理論の世界」で
インデックス・ファンドの有益性が叫ばれる中、
「現実の世界」でそれを実践し、
インデックス投資の優位性を証明した点にあります・・。
誤解を恐れずにいれば、
この「バンガード500インデックス・ファンド」こそ、
資産運用業界の中ではじめて、
◆ 消費者の利益を優先し、
消費者の目線に立って開発された
金融ツールであるとわたしは思うのです..。
どんな業界の、
どんな分野でも同じと思いますが、
消費者の予想を超える、
よい意味で消費者を驚かせるような
商品・サービスを開発することが、
(結果として)
マーケットの拡大につながるのではないでしょうか・・。
「直感こそが敵であり、理性こそが友である 」
ジョン・ボーグル
こんにちは。
インデックス投資アドバイザーの カン・チュンド です。
どんな分野でもそうだと思いますが、
新しいモノが生まれるときは、
決して「一点」で孵化が始まるわけではありません。
異なった複数の点、
たとえば、A点、G点、R点が互いに関与し、
交わることで、ある種の【化学反応】が起こり、
プロダクトが誕生します。
「あのさ、別に
平均点に投資する道具があってもいいじゃない!?」
という、単純明快な好奇心から生まれた
世界初の「インデックス・ファンド」は、
言ってみれば、
ファーマさん(シカゴ大学)
マックーンさん(ウェルズ・ファーゴ銀行)
シュウェイダーさん(サムソナイト「企業年金」)
の交わりの結晶だったと言えるでしょう。
ついに、1971年7月、
ウェルズ・ファーゴ銀行は
世界初の「インデックス・ファンド」を組成するに至ります。
(ウェルズ・ファーゴって?
今でもアメリカの代表的な銀行のひとつですよ・・)
この、世界初の「インデックス・ファンド」は、
個人向けではなく、
「サムソナイト」の企業年金のために作られました。
(当時の運用元本は
およそ600万USドルだったと言われています)
ウェルズ・ファーゴ銀行はどんなふうに
「インデックス・ファンド」を作ったかというと、
ニューヨーク証券取引所に上場する
株式約1,500社をすべて【同じ割合】で保有したのです。
ところが、運用の実態は・・・・、
後年、ウェルズ・ファーゴ銀行の
ウィリアム・ファウスが
「まるで悪夢のようだった・・」と述懐するように、
お粗末なものだったようです。
(・・ここは皆さん、
寛容な心を持ってあげてくださいね。
とにかく、史上初の試みなのですから。)
ウェルズ・ファーゴの運用チームは、
全銘柄の組み入れ割合を【同一】に保つために、
頻繁に「リ・バランス」を行いました。
すなわち、
株価が上がった銘柄は一部売却し、
株価が下がった銘柄は
一部買い増しする作業ですね・・。
しかし、ときは1971年です。
アメリカ市場では
株式の【売買委託手数料】はまだ自由化されておらず、
(固定制だったのです!)
リ・バランスに
想定以上のコストがかかってしまいました。
結局、ウェルズ・ファーゴの運用チームは
1973年に運用方法を変更します
(同じ割合で銘柄を保有するのをあきらめ、
時価総額によって組入れ割合に
【ウェイト】をかけることにしたのです・・)
同じ年、1973年に
「アカデミックの分野」で新たな動きが起こります。
プリンストン大学のエコノミスト、バートン・マルキールが
【ウォール街のランダムウォーカー】を出版したのです。
翌年74年には、ポール・サミュエルソンが
ノーベル経済学賞を受賞しました。
サミュエルソンは投資の新たな選択肢として
インデックス・ファンドの必要性を説き、
「誰かがインデックス・ファンドを立ち上げるであろう」
と予測しています。
そして、1975年、チャールズ・エリスが
Financial Analysts Journal紙に
「The Loser's Game」【敗者のゲーム】
と題した論文を発表します。
この中でエリスは、
─「過去10年間、85%のアクティブ・ファンドは、
S&P500指数を下回る成績しか残せていなかった。」─
と喝破します。
このような流れの中、個人投資家向けの
「インデックス・ファンド」立ち上げを決意したのが、
バンガード社の創設者、ジョン・C・ボーグルなのです。
◆ 1975年12月31日、
バンガード社は個人向けで初めてとなるインデックス・ファンド
「First Index Investment Trust」を設定します。
(S&P500との連動を目指すものでした..)
この試みは当初
“Bogle's Folly”【ボーグルの愚行】と呼ばれました。
当時、フィデリティインベストメントの
エドワード・ジョンソンは、次のようなコメントを残しています。
【多くのアメリカ人が
市場の平均で満足するなんて考えられない!】
また、インデックス・ファンドは
アメリカ人の「気質」に合っていないとも言われました。
なぜなら、アメリカ人は年少の頃から
【勝つ】ことを目標に行動するよう教えられているからです。
ボーグルは著書
「インデックス・ファンドの時代」の中で、
─当時はそもそも
S&P500平均のパフォーマンス自体がかんばしくなく、
私のファンドへの資金流入はなかなか進まなかった。─
と語っています。
1980年、バンガード社はファンド名を
「バンガード500インデックス・ファンド」に変更しますが、
結局1985年になるまで、
インデックス・ファンドを設定する
他の運用会社は現れなかったのです。
(んー、長い「冬の時代」ですね)
【続く・・】
こんにちは。
インデックス投資アドバイザーの カン・チュンド です。
「ちょっと。男なら挑む投資をしないでどうするの!?」
魅力的な女性にそう凄まれたら、
わたしはたじたじになって、何も言い返そうにありません..。
ある時点までは、
個別株、投資信託を問わず、
すべての投資は【挑むタイプ】の投資でした。
なぜなら、ヒトの歴史そのものが、
自然と対峙し、自然の猛威を克服し、
自分たちの活動範囲を広げてきたプロセスなのですから・・。
(私たちの先人が挑んできたからこそ、
今の私たちが在るのです・・)
そういう意味では、
投資というヒトの行いが、
【挑むカタチ】になるのは当然のことです・・。
(別の見方をしますと、)
「インデックス投資」という、
いっぷう変わったスタイルが登場するためには、
(ある意味、)ヒトの「成熟」が必要だったとわたしは思うのです。
1975年に「Vanguard 500」が
インデックス投資の歴史を切り開いたと先日お話しました。
(もちろん「個人投資家向け」としてはその通りなのですが、)
◆ 実はその前に、
旅行カバン屋さんの【年金】のために、
インデックス・ファンドが作られていたのです・・。
???
(カンさん、よく分かりません・・)
えーっと、まずは、
「旅行カバン屋さん」と、
「投資理論の世界」が、
どのようにして出会ったのかをお話しましょう!
いきなりですが、
学問の「根幹」はどこにあるかと言いますと、
それは紛れもなく【知的好奇心】です。
たとえば、投資の分野では
自分が投資そのものに熱中していないからこそ、
投資という行いを「冷静に」分析することが可能になります。
ポール・サミュエルソンさんや、
ユージーン・ファーマさんが
そのような人たちだったのです。
1965年、マサチューセッツ工科大学教授の
ポール・サミュエルソンが
「株式の本質的な価値」と題した論文を発表します。
また、1970年には、
シカゴ大学教授のユージーン・ファーマが、
「効率的市場仮説」として知られる論文を発表しました。
このファーマさんの論文は、
◆「あのですね、結局のところ株価ってすでに、
すべての情報を織り込んでいるわけですから、
あなたが市場を出し抜いて儲けることなんて出来ないのです..」
と言ってしまったのです。
【もう、証券会社の人たちは真っ青!!】
あなたは何気なく
この部分を読んでいるかもしれませんが、
1970年当時、上記の文章は
【センセーショナル】以外の何ものでもありませんでした。
ファーマ教授の説は、
それまでの【挑む投資】
つまり、勝つか負けるかという投資に
真っ向から「疑問符」を投げかけたのです。
「あれ?市場の中で勝つことが投資だと思っていたのに、
もしかすると、
市場の平均にすら勝てない可能性があるのかも・・」と、
人々が思う「きっかけ」となったのです。
◆ インデックス投資のアイデアは、
まさにアカデミックの分野からやって来たのですね・・。
進取の気性に富んだ投資家は、
もしかしたら世の中には、
1.市場を出し抜くタイプの投資と、
2.市場そのものを保有するタイプの投資、
「ふたつの投資」が存在するかもしれないと気付き始めました。
理論の世界で、
大学教授の人が「○○は、△△ですよ」というと、
その理論を「じゃあ、実際にやってみようか!」と
思う人が必ず出てきます。
1970年、ウェルズ・ファーゴ銀行の
ジョーン・マックーン、ウィリアム・ファウス、
ジェームス・バーティンは、
世界ではじめて、
市場平均との連動を目指す商品の開発に乗り出しました。
実は、ジョーン・マックーンは、
シカゴ大学のビジネスマン向けセミナーで
「効率的市場仮説・インデックス理論」について学んでいたのです。
このときマックーンは、シカゴ大学内で、
同大学のビジネススクール生徒だった
チャールズ・シュウェイダーと接点を持ちます。
(シュウェイダー自身も
インデックス投資の理論に大いに関心を持つ学生でした・・)
「その・・誰なのですか、シュウェイダーさんって。」
あっ、ただの学生さんです(笑)
おそらくマックーンから
インデックス・ファンド開発の話を聞いたであろう
シュウェイダーくんは
そのことに大いに興味を持ち、
ある晩、父親に以下のような提言をします。
「お父さん。
お父さんの会社の年金運用を、インデックスでやってみたら?」
実はシュウェイダーという学生さんは、
旅行カバンで有名な「サムソナイト」を経営する
シュウェイダーさんの息子だったのです!
ここに、
ファーマ教授(シカゴ大学)
→ マックーン(ウェルズ・ファーゴ銀行)
→ シュウェイダー(サムソナイト)という
【つながり】が出来るのです。(続く・・)
こんにちは。
インデックス投資アドバイザーの カン・チュンド です。
去年の9月に、
アメリカのファイナンシャルプランナーの全国大会、
「FPA Coference 2011」に参加してきました。
そこでは金融業界のさまざまな会社が
「ブース」を出しているのですが、
わたしは(まだ名前を聞いたことがない)
ある投信会社のブースの前で立ち止まりました。
ちょうど、
年配の女性が手持ち無沙汰で立っていたので、
(たとえるなら、
森光子さんを金髪にしたような女性です!)
わたしはその方としばらく立ち話をしました。
話の流れの中で、
わたしは次のようなことを尋ねたのです。
─「日本では
インデックス・ファンドがまだまだマイナーです。
マイナーといっても、
まだまだ「マニア」の中で広がっている
とても特殊な投資スタイル というイメージなのです。」─
わたしがそういうと、
森光子風の、その方は、
【かつてアメリカでもそうでしたよ。】
と優しく答えてくれました。
○「50年前を振り返ってごらんなさい。
当時は投資といえば【個別株】で、
だれが【投資信託】なんてやるの?という風潮でした。
それが今では
【投資信託】はすっかりふつうのツールになりましたね。
○ また、20年前を振り返ってみると、
当時、投資信託といえば【アクティブ・ファンド】で、
だれが【インデックス・ファンド】なんてやるの?
という風潮でしたよ。
時は流れ、物事の主流は変わっていくものです」
そう、おっしゃってくれました..。
わたくし自身【原点】に帰る、という意味で
「インデックス投資」のお話を
連載ふうにしてみたいと思っています。
インデックス・ファンドから、ETFへ、
「時間の流れ」と共に、
これら革新的な道具について
分かりやすくお話してまいります。
突然ですが、あなたは
100年、200年前の人たちの、
「お金を殖やしたい」という気持ちを考えたことがありますか?
(以下、大げさでも何でもないのですが、)
【投資信託】が生まれる前と、
生まれたあとでは、
⇒ 投資をするという「概念」そのものが
【ふたつの意味で】大きく変わりました。
1.投資の対象者
【投資信託】が生まれる前は、
投資は(文字通り)
金持ちの人たちだけが行える、ぜいたくな「行為」でした。
【投資信託】が登場したことで、
ちょっとしたお金を持つ市民にも、
投資の道が切り開かれたのです。
2.博打でない投資の誕生
【投資信託】が生まれる前は、
投資は文字通り、
超ハイリスク・超ハイリターン型の
「壮大なギャンブル」でした。
【投資信託】が登場したことで、
ミドルリスク・ミドルリターン型の、
なんと言いますか、
日常生活に則った、
【普段着の資産運用】が可能になったのです・・。
Before 投資信託 と、
After 投資信託 の「違い」はあまりにも大きく、
私たちは今一度、
【投資信託】という道具があることに
「すごいなあー」と驚いてよいと思うのです..。
(・・さて、それから時は流れて・・)
「投資信託」はやがて、
たくさんの消費者の間で
名前を知られるようになります。
が、ある時点までは
すべての投資信託は【アクティブ・ファンド】でした。
いや、
わたしの言い方がちょっとおかしいですね。
ある時点までは、
◆ すべての投資は
【ワタシはこれだけ儲かったよ!!】
のみをシンプルに目指す、
「アクティブ型の投資」だったのです。
ところが、1975年の12月31日に、
とてもマイナーな投資信託の運用会社が、
個人の消費者向けにはじめて、
市場平均と同じ動きをする、
とても奇妙な、投資信託の運用を始めたのです。
それが「Vanguard 500」と呼ばれる
インデックス・ファンドでした。
このブログを読んでいるあなたが、
「インデックス・ファンド」に興味があるかないか、
それはわたしには分かりません・・。
しかし、
「インデックス・ファンド」が果たした役割は明快です。
それは、 投資のやり方に、
【ふたつ目の選択肢を与えた】こと・・。
資産運用に限らず、どんな分野でも、
「選べること」って、とても重要なのですね..。
【続く..】