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2009.12.30 Wed
こんにちは。
インデックス投資アドバイザーの カン・チュンド です。
昨日、久しぶりに「鬼平犯科帳」(ドラマ)を観ました。
(鬼平犯科帳はDVDでレンタルされています)
(突然ですが)時代劇に人気があるのはどうしてでしょうか?
それは、時代性とか、モノとか情報とか、
「余計なものを削ぎ落として、
人間の本質を垣間見せてくれるからだ」とわたしは思います。
時代劇は人間そのものにフォーカスし、
人として大切なこと(倫理性)や、
人と人の関わり(信頼とか、愛情とか、憎悪)を
ドラマを通じて映し出します。
【いつの世も、変わらないものがあるのだ】
ということで、人は安心するのです。
知らない国を訪ねるときも、
わたしがいつも思うのは【人間の普遍性】です。
誰かを好きになったり、
家族を大切に思ったり、
世の中が平和でありますようにと願う気持ちは
どこの国の人も変わることがありません。
この10月にベトナム・ホーチミンに行き、
クチトンネルを見るために【バスツアー】に参加したのですが、
わたしがバスツアー
(特に英語で実施されるツアー)に参加する理由は、
そこに【世界の縮図】があるからです。
ホーチミン市の旅行代理店前から出発したそのバスは
「クチトンネル」に向かいました。乗客は20人程度です。
そこにはドイツ人の若いカップルが居ました。
フィリピン人の夫婦がいました。
日本人が二人いました。
香港の若者がいました。
そして、オーストラリアに住む
ブラジル人のカップルもいました。
(もちろん、ベトナム人も参加しています)
どの国のどのバスツアーも同じですが、
最初はみな硬い表情で、
ガイドの方が投げ掛けることばにも
ぎこちなく反応します。
その後、途中の休憩で互いに一言、二言ことばを交わし、
昼食休憩で共に食事を取ったりすると、
次第に打ち解けてくるものです。
わたしは昼食時にふたりのベトナム人と話をしました。
彼らはハノイの大学生でした。
わたしはベトナムにはじめて来たこと、
経済発展の様子に驚いたこと
そして、戦争証跡博物館を訪れ、
インドシナ戦争、そしてベトナム戦争の悲惨さに
考えさせられたことを話しました・・。
彼らは英語で話しているため、
多少大げさに頷きながら
「Yes,Yes」と相槌を打ってくれました。
そして、右側に座っていた少し太めの青年が
【でも、私たちの国はまだ貧しいのです】と
わたしに言ったのです。
【道路や鉄道や、その他さまざまなインフラを
作っていかないといけませんし、技術もまだまだです】
そして、もう一方の青年が
【サービスとか、経済のことととか、
これからいろいろ学ぶ必要があります】と呟きました。
どこか前のめりで、しかし
国を支えるエリートとしての自負も漂わせていたふたりの青年。
ほんらい、人が国のグランドデザインを決め、
人が国の政策の細部を作り、実行していくものです。
こんな当たり前のことが、
発展途上の国では鮮やかに映し出されます..。
(何と言いますか、)
◆ 自分の頑張りが
国の発展に直接寄与する実感が持てる彼らのことを
わたしは少しうらやましく思いました..。
旅とは不思議なものです。

ふたりの青年とは、
もう、二度と会うことはないでしょうが、
わたしは彼らのことを一生忘れないと
どこかで確信しているのです。
追記)
マーケットは世界に広がっています。
「ラオス証券取引所:開設準備が着々と進行中」
追記 その2)
2011年7月カンボジア証券取引所も正式にオープンしました。
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| 2009年 ベトナム奇譚
| 09:03
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2009.11.23 Mon
こんにちは。カン・チュンド です。
ベトナムから帰ってきて、
しばらく時間を置いてみて、
「なぜ、自分はベトナムに興味を抱いているのか」という、
疑問に対する答えが明快になりました。
それはベトナムが、
わたしの故国 韓国と同じように、
【国が分断された歴史】を持つからなのです。
韓国の映画に「太白山脈」があります。
この映画は1948年という、
韓国、北朝鮮「ふたつの体制」が
出来上がってしまう最中の、
イデオロギーによる凄惨な争いを描いた歴史物です。
韓国国内で、
共産主義を信奉する部隊が反乱を起こし、
政府軍と戦うのですが、映画の中で印象深いのは、
両陣営が要所となる農村を(互いに)
自分たちの陣営に引き込もうとするところです。
昨日まで
パルチザンに説得されていた農民たちが、
今日は政府軍からアメをもらい、
左から右に鞍替えします。
また別の日には、
パルチザンのリーダーの演説に感化され、
また右から左へ傾きます。
そのたびに
双方の陣営から「裏切り者!」とののしられ、
農民は次々と殺されていくのです。
かつてベトナムも朝鮮も
牛に田をおこさせ、
米を作っていた「村落社会」でした。
そこには「マルクス・レーニン主義」も、
資本家も、
貨幣経済も存在していませんでした。
村はおそらく何百年前と変わらぬ村で、
原始的なコミュニティーだったのです。
そこに突然、
イデオロギーという【魔物】が現れます。
これは他ならぬ人間が作り出した【魔物】ですが、
おかしなことに、
イデオロギーそのものが、
食べ物を増やしてくれたり、
利息を生んでくれたりすることはありません。
それなのに、
人はイデオロギーに狂喜し、感化され、
おのが人生の方向性を
180度変えてしまったりするのです。
そして、困ったことに、
20世紀はイデオロギーの正しさを証明するために
【兵器】を利用するという「蛮行」が流行りました。
そして、20世紀半ばになると、
各々のイデオロギーを死守するため、
アメリカ、ソ連という大親分が
小国に【兵器】の横流しを始めたのです。
(したがって、朝鮮戦争でもベトナム戦争でも、
兵器が枯渇することはありませんでした....)
1948年当時、実はベトナムも
「南北分断」の憂き目に遭っていました。
第2次大戦は終結したものの、9月には
イギリスの支援を受けて
フランスがベトナムの再侵略を開始していました。
北部では
ベトナム民主共和国が樹立されますが、
まもなく北(ベトナム民主共和国)と
南(フランス軍)との戦い、
第一次インドシナ戦争が勃発します。
1954年に
ジュネーブ会議が開かれ休戦が実現しますが、
このとき、北緯17度線を【軍事境界線】として
実質上、南北ベトナムに分かれてしまうのです。
その後、フランスに代わってアメリカが
南ベトナム政府に肩入れし、
軍事介入を開始しました。
(その後、ベトナム戦争に突入します)
ベトナム戦争の本質は、
北と南に分かれた同じ民族同士の【内戦】なのです。
ベトナム戦争では、
300万人のベトナム人が戦死し、
そのうち、非戦闘員が200万人を占めたとされています。

(上記、英語表記より。ホーチミン市内の
【戦争証跡博物館にて】...)
世の中にはいろいろな不幸がありますが、
親兄弟、同郷の人、
同じ民族同士が、国を分かち、にらみ合い、
そして殺し合うほどの不幸は存在しないでしょう。
ホモ・サピエンスとはけったいな生き物です。
食べ物や陣地のためではなく、
思想のために殺し合うのですから....。
(もうこんな蛮行は止めにしましょう)
参照記事【ベトナム奇譚】
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| 2009年 ベトナム奇譚
| 18:52
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2009.11.11 Wed
こんにちは。
インデックス投資アドバイザーの カン・チュンド です。
ホーチミン市からクルマで1時間半ほどいくと、
「クチトンネル」というものがあります。
いわゆるベトコンが、アメリカ軍に対して徹底抗戦した
地下トンネルなのです。
全長は200キロメートルを超え、
この地下トンネルに象徴されるように
ゲリラ戦において終始優勢を保ったベトナム軍は、
やがて統一を成し遂げます。
(これは個人的な印象ですが、ベトナム人のことばの端々に、
「私たちはアメリカに勝ったんだよ」という自負が
見え隠れしていました)
ベトナム戦争を題材にした映画などで
皆さんもご存知だと思いますが、
ベトナム戦争当時、米軍に、
【ゲリラはどこにもいないが、どこにでもいる。】
と言わしめたのが、ベトコンであり、
その象徴のひとつが
クチトンネルに代表される地下トンネルなのです。
最初は地下に一層のみのトンネルでしたが、
アメリカ軍の攻撃に遭う中で、
第二層、第三層と、下へ下へ掘り進められていきます。
このトンネル内で食事を作り、生活をし、
10年、15年とトンネルを掘り進めていったのです。
「クチトンネル」のツアーの中でいちばん驚いたのは、
随所に見られる細かい工夫です。
たとえば、食事を作ると煙が出てしまいます。
(そのまま煙を出すと米軍に見つかってしまうため、)
その煙を、少しずつずらしながら上昇させ、
何キロも離れた小さな穴から吐き出させるしくみを、
地下で作ってしまっているところです。
◆ 「クチトンネル」の詳しい画像は【こちら】
上記ページに ↑「爆弾の製造風景の展示」と
載っていますが、これは少し違っていまして、
実際は、米軍が落とした爆弾の不発弾を「解体」して、
「リサイクル」し、自分たちの武器として
再生産している風景なのです。
◆ また、別の画像もあります【こちら】
(ここに、煙が地上に出る場所の画像アリ。
地下に、会議室や手術室まであったのです)
「クチトンネル」の頭上は、
完全にアメリカ軍に掌握されていたのですが、
それは「昼のあいだ」だけで、
夜になると、
ベトコンたちは地上に出て、田や畑を耕し、
また、つかの間の休息を楽しんでいたといいます。
◆ 「クチトンネル」という、
巨大な建造物からわかることは、
ベトナム人の【創意工夫】に長けたキャラクターであり、
また、しぶとさであり、
忍耐力そのものではないでしょうか。
「人間の集団について ベトナムから考える」
(司馬遼太郎 著)の中に、
―ベトナム人は折れることがない、葦のようにしなうだけだ-
という言葉があります。
皮肉にも、ベトナム人のしぶとさが、
100年近く続いた「戦争」という日常の中で
鍛え上げられてしまったのだとわたしは考えます。
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| 2009年 ベトナム奇譚
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2009.11.02 Mon
こんにちは。
インデックス投資アドバイザーの カン・チュンド です。
わたしは古い映画を観るのが好きです。
日活のスターに、
若くして事故死してしまった赤木圭一郎がいますが、
彼の昭和36年の作品が「紅の拳銃」です。
わたしはこの映画を新開地の映画館で観たのですが、
舞台が「神戸」なのです。
今でも鮮明に覚えているのですが、
主人公の赤木圭一郎が国鉄三ノ宮駅に降り立ち、
ロータリーで待っているタクシーに乗り込みます。
駅前は商店や三階、四階建てのビルが軒を連ねていますが、
しばらくすると、舗装されていない土の道の両側に、
木造建ての家々が立ち並ぶ風景に一変します。
ちょうど、ホーチミン市を訪れて
この映画のことを思い出しました。
私たちは町が生まれ、活気づき、
その町が内包するエネルギーと共に
町自体が膨張していく様を、
なかなか「現在進行形」で見ることができません。
ところがホーチミンは、
今はまだ、町が活気づき、
町自体が膨張し始めている段階なのです。
市の中心部(いわゆる旧市街)からクルマで20分も走れば、
広大な空き地がいくつも点在し始めます。
(すぐに「郊外」になるのです)
今回、ガイドの方に頼んで、
わたしはホーチミンの7区にある
新興住宅街に連れて行ってもらいました。
ここはホーチミンの中心部とは違って、
整然と区画整理されています。
まさに10年、20年先を見越して
開発が行われているエリアです。
いちばん目に付いたのが10階~15階の中層マンションと、
30階建て以上ある高層マンション。
それから、ヴィラと呼ばれる一戸建て住宅も
多数建っていました。
・サイゴンサウスの一戸建て
・サイゴンサウスの団地
また、オフィスビルやショッピングセンター、
ファストフードのお店や、病院、学校にいたるまで、
すべての生活施設が整っていました。
この7区「サイゴンサウス」では
驚くほど韓国資本が進出しています。
・「ベトナムじゃないみたい! ホーチミン7区にて」
そのほか、
中国系、台湾系、香港系など、
さまざまな外資デベロッパーが参入しています。
いちばん驚いたのは、
カナディアンスクールが複合ビルのテナントとして
入っていたことです。
これは外国人の居住者を見込んで、というよりも、
比較的裕福なベトナム人のニーズに
対応しようとしたものでしょう。
ホーチミン市内の不動産会社で聞いたのですが、
市の中心部よりも今後は、
7区や、サイゴン川の向こう側にある2区のほうが
将来の発展を考えると、
不動産価値の上昇が見込めるとのこと。
(中心部では、2010年に不動産の大量供給があるため
家賃、不動産価格ともに弱含みになるだろうとのこと。)
ホーチミンでは、
すでに地下鉄、高速道路の建設が始まっています。
交通網が整備される頃には、
悪名高い? バイク渋滞も緩和されていることでしょう。
追記)
中国と同じように、ベトナムの土地売買も
(有期限の)土地の使用権を売り買いする形となります。
7区の豪華な一戸建て住宅が建ち並ぶ一帯に
巨大な空き地があり、
そこはすでに「区画」に分かれているのですが、
各区画の前に「携帯電話の番号」が書いてあるのです。

「この土地を書いたかったら、ここに連絡を」
という意味なのだそう。
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2009.11.01 Sun
こんにちは。
インデックス投資アドバイザーの カン・チュンド です。
たしかにベトナムという国には
文明の利器であるインフラが多数存在します。
しかし、ひとつの国が発展していくうえで、
モノとヒトと、どちらが大切なのでしょうか?
(もちろん「ヒト」です)
1945年、
太平洋戦争が終わったときの日本を思い出してください。
(多くのモノは破壊され、なくなってしまいました)
それでも日本は、
ヒトというポテンシャル(潜在可能性)のおかげで、
高度経済成長を成し遂げることができました。
ヒトというポテンシャルがある限り、
国の発展は可能なのです。
(モノは輸入可能ですが、
ヒトはそういうわけにはいきません・・)
ちょうど3年前に北京に行ったとき、
西単というところの百貨店(庶民的な百貨店です)
に入ったのですが、
販売員の人が
「どうぞ。これはいかがですか」というような
声を掛けてきたことにびっくりしたのを覚えています。
(↑ 押し付け的ではない【営業】をちゃんとやっていた!)
ベトナムでは(わたしの個人的な印象ですが)
販売員の方にあまり「やる気」がありませんでした。
街中のお店でも、免税店でも
雑貨屋さんでも、
働いている人に「愛想」というものがありません。
ぺちゃくちゃ従業員同士で
おしゃべりをしています。
基本的に、
「なに? あなたが望むなら売ってあげてもいいわよ」
的な態度が見えてしまうのです。
サービスに対する意識は
(中国と比べると)10年、15年以上遅れていると思いますし、
たとえば、90年代に行ったタイに比べても
ホスピタリティー(おもてなしの心)が欠けていると
わたしは感じました。
それにはふたつの理由があると思います。
ひとつは、ベトナムが紛れもなく
「共産主義の国」である、ということ。
共産主義では、
よりよいサービスを行って多くの利潤を得る、
という発想がそもそもありません。
もちろん、現在のベトナムは
市場主義経済を受け入れていますが、それでも
「がんばっても、がんばらなくても一緒。」
という慣習の蓄積は、
いたるところに見受けられます。
もうひとつはベトナム人の気質です。
(これは歴史的には「中国」の影響かもしれませんが)
他人にやたらと笑顔など見せてはいけない、
内(自分の家族)と外(社会)はまったく違う世界である、
というカルチャーが存在するのだと思います。
(そして、ベトナム人はプライドが高い民族でもあります)
ひと言でいうと、
文明の利器(ハード)は溢れているが、
それを使いこなす人という(ソフト)が
まだまだ追いついていない、という印象を受けました。
追記)
ホーチミンでは見聞を広めるために?
バーにも行ったのですが、
「もう少し愛想よくしてくれたらもう一杯ビールを頼むのに...」
という場面に遭遇したりもしました。
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| 2009年 ベトナム奇譚
| 09:17
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2009.10.30 Fri
こんにちは。
インデックス投資アドバイザーの カン・チュンド です。
@ベトナムより戻ってまいりました。
(いきなりですが、)
世界を大風呂敷で見ると、
変化というものは同じスピードで続くのではなく、
「等加速」されていきます。
(時代が経れば経るほど、
変化のスピードは速くなるのです…)
その理由は?
これまでの知識・ノウハウが蓄積され、
次の変化に至る「ハードル」が低くなるため。
たとえば、
ヒトは、1、2、3という「数」を認識し、
10という数字を理解するに至るまで
何十万年もかかりました。
ところが現代では、
私たちの孫が大人になったとき、
どんな「生活習慣」を身につけているのかさえ、
予想するのが難しくなっています。
このような大変化の時代に
もっとも恩恵を受けるのは「遅れてきた人たち」です。
ベトナムのホーチミン市内を歩けば、
ATMがいたるところにあります。
携帯電話は実に多くの人が保有しており、
ノキア、サムソンなどの機種に人気があります。
路上で麺類や果物を売っているすぐ隣に、
ネットカフェ兼コピー屋さんのようなお店があります。
中を覗いてみると、
建物は古く冷房設備もないのですが、
ウィンドウズのパソコンが
確かに人々を世界と「つなげて」います。
たとえば、インドなどでは、
固定電話の設備敷設を飛び越えて、
携帯電話が爆発的に普及しました。
ホーチミンの証券取引所では、
人がボードに会社の名前と株価を書き記しているのでしょうか?
いいえ、そんなことはありません。
規模こそ小さいですが、先進国と同じように
株式の売買はすべてコンピュータで制御・管理されています。
(立会いの人も、もちろんいません)
◆ これまで先進国で
何十年とかかって積み上げてきた知識・ノウハウが、
狭くなった地球を跨いで非常に廉価に
新興国に流入しているのです。
ベトナムはまだ貧しいですが、
文明の利器というインフラはすでに存在します。
今後、製造業はもちろんのこと、
ベトナムではソフトウェア関連の産業が
勃興する可能性が高いのではないでしょうか。
(ベトナム人は、文明の利器(IT)を使いこなすことに
長けているという直感です...)
※ ベトナムのお話は追々続けていきます。
追記)
ベトナムにはまだマクドナルドはありません。
代わりにロッテリアがたくさんあります。
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