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ゴッホはなぜ、耳を削ぎ落としたのか?


こんにちは、カン・チュンド です。

(念のため)上記標題 は、
わたしが思いついたものではありません。

(たしか)村上龍 氏 の
小説の中で使われていた言葉です。

実は最近、
ゴッホの画集を読み返しています。
きのう目に留まったのは
耳を切った自画像」です。
Self-Portrait with Bandaged Ear

彼の 自画像 を見つめながら、
「ゴッホはなぜ、耳を削ぎ落としたのか?」

という問いに対する
「答え」がふと浮かびました。

ゴッホ は「 耳(聴覚)なんて必要ない・・」
と、無意識に思っていたのではないか、と。

(彼は目を突いたのではなく、
 耳を削ぎ落としたのです・・)

耳(聴覚)を遮断することで、
目(視覚)= (絵を描くことの)感性 を
研ぎ澄ませたかったのではないか、
というのがわたしの邪推です。

まあ、今お話したこと自体、
一種異様な 想像 ですよね。

この 耳の事件 をはじめとして、
ゴッホ には(なぜだか)狂気の画家
というイメージがつきまといます。

黒澤 明 監督 の「夢」で描かれていた ゴッホ も、
ブツブツわけのわからないことを言いながら、
一心不乱に 筆 を動かしている人でした。

(ちなみにゴッホ役は
 アメリカの映画監督 マーティン・スコセッシ・・)

(確かに)絵を描いている最中の彼は
(一種)狂気の状態 であったかもしれませんが、

その前段階、つまり、
絵を描くに至る「プロセス」の段階では、
実に 緻密で、論理的な思考を行っていたと
わたしは思うのです。

それは 弟のテオ に宛てた
数多くの「手紙」を読めばわかります。
ゴッホの手紙(中)(下)(岩波文庫)

ゴッホは、これから描こうとする
絵の「コンセプト」について
弟に語り掛けます。

「自分がなぜ、
 この風景を、この人を描きたいのか・・?」

「わたしが描きたいのは、
 この風景の ○○さ なんだよ・・」と。

彼は 弟テオ に手紙を書くことで、
絵を描くに至る 思考・戦略 について
自身を掘り下げ、

また、絵を描くことの「必要性」を
再確認していたのだとわたしは思うのです。

描写の『手法』についても、
ゴッホ は事細かに語っています。 

(自分の中で)たったひとつ追い求めている
「赤」の具体的なイメージ、

そこに至るための 絵の具の重ね方 について、
あるいは、一本の「木」の、
具象の仕方 と その意味付け について・・。

ゴッホ は、弟テオ に語りかけることで、
己の漠然としたイメージを、
具体的な【作品】に
昇華させていったと思うのです。

■ そういう意味で、
  ゴッホの 絵 は 弟テオ との 合作 です。

わたしは、ゴッホという芸術家は
(その本質のところでは)
非常に鋭利な 分析能力 を備えた人物だったと推察します。

そんな彼が、自らの耳を削ぎ落とし、
(結果として)

聴覚という 感覚 を拒否しながら、
ひたすら絵を描き続けていた姿を想像すると、
ちょっと胸が痛くなってしまいます・・。

ともかく、画家は 絵 によって
人生を語る者ですから、

ご興味ある方はぜひ
ゴッホの世界 に触れてみてください。

では皆さん、よい週末を!



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