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ピーター・フランクル と ハンガリー


こんにちは、カン・チュンド です。

わたしは数年前から
「ハンガリー」という国に関心を持っています。

(もちろん)【投資対象】として、
ハンガリーという国のエッセンシャルな部分に
惹かれているのです。

皆さん、
ピーター・フランクル という人を知っていますか?
(数学者にして、大道芸人である、あの方 です・・)

氏は1953年 ハンガリーに生まれますが、
26歳の時、フランスに亡命しました。
(このことは、氏が ユダヤ人 であることと
 深く関係しています)

フランクル氏は、
あるインタビューで次のように答えています。

「ぼくは、フランス国籍は持っているし、フランス語も話せるが、
自分のことをフランス人だとは思っていない。
ぼくが生まれ育ったのはハンガリーだ。
でもハンガリー人だとも思わない・・」

んー、バックグランドからいうと、
氏は「ユダヤ系ハンガリー人」と称されますが、

アイデンティティーというものは、
一筋縄にはいかないものですね・・。

さて、ハンガリー人(マジャール人)の祖先は、
ウラル山脈のふもとに暮らしていた
「アジア系の騎馬遊牧民族」です。

(つまり、私たちと同じ
 アジア系の人たち なのです)

東方から移動してきた騎馬民族が
この地 に定住したのが 896年頃 とされています。
(ハンガリー建国の年 にもなっています)

ちなみにハンガリー語(マジャール語)の「人名」は、
日本語 と同じように
姓・名 の順で書きます。

フランクル氏も、
ハンガリー式では
「フランクル・ペーター」と云うらしいです。

また、子、丑、寅などの 十二支 も、
ハンガリーの人たちは知っているのだそう・・。

ハンガリーは 教育熱心な国 です。       
(教育は その国の未来を占う重要な【要素】ですね)

上記のフランクル氏も 数学者 ですが、
この国からは、偉大な科学者 が多数輩出しています。
それは、なぜなのでしょう?

(誤解を恐れずにいえば)
【辺境からの独創】という言葉が
キーワード になると思います。

ハンガリーの人々は、
ゼロ から 有 を創り出すことに長けているのです。


この国では19世紀末から20世紀にかけて、
とりわけ「科学」の分野で、
独創性を持った人物 が多数輩出しました。

放浪の数学者として知られる ポール・エルデシュ、
原水爆の開発に貢献した エドワード・テラー、
ビタミンCを発見した アルバート・セント・ジョルジィ、
非協力ゲーム理論で名を馳せた ジョン・ハサーニなど・・。

これらの「成果」にはちゃんと 理由 があります。
【教育の充実】なのです。

ギムナジュウム(高等学校)と呼ばれる
「才能」を発掘し、それを伸ばしていく
教育システムが 整っていたことが大きいと思います。

教師が生徒の「自主性」を重んじ、
学問そのものへの 熱意 を伝えているのです。

何より教師自身のレベルが高く、
(教師による)学問の研究 と 学生との対話 が
(ぶれることなく)
一直線上 につながっているのが特徴です。

この教育の伝統は、
今も受け継がれています。

1994年にノーベル化学賞を受賞した
ハンガリー人 ジョージ・オラー は、
いみじくも次のように語っています。

「21世紀が近づいている。
国の将来は、若者の教育に
どれほどのものを提供できるかにかかっている。

教育 は未来への最高の「投資」だ。 
非常に競争的な時代に突入しているからこそ、
これが重要になっている。

(中略)

科学は国際的な事業で、
一国だけでは発展させられるようなものではない。
しかし、自然資源に恵まれていない国では、
もっとも重要な資源が 人間そのもの なのだ・・」と。

まさに、
日本 のことを示唆していると思いませんか?

わたしは「ハンガリー株式インデックスファンド」
のような金融商品が出てくれば、
ぜひ投資したいと思っています。

では皆さん、素敵な週末をお過ごしください。



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間違いを 間違い と気付かないまま?


こんにちは、カン・チュンド です。

誠に恥ずかしい話ですが、
わたしはつい1時間ほど前まで、
「あの先生はホント 教師の鏡 ですね・・」
と 思っていました。

??
はい、教師の鏡 とは、
あの「鏡」だと思っていたのです(恥)

※(実は)正解は
教師の鑑(かがみ) なのです・・。

鑑(かがみ)には
「手本」という意味があるのだそう。

上記は 言葉における【思い込み】ですが、
もしですよ、

もしそれが「投資」であればどうでしょうか?
あるいは「人生設計」ではどうなるのでしょうか?
(そんなこと、考えてみたことない?)

もしあなたが【思い込み】のイメージのまま、
「お金の行き場所」を決定する、
「人生のイベント」を(何気なく)消化してしまうと、

・間違いを 間違い と気付かないまま、
 60歳の誕生日を迎えることになりかねません・・。
 (考えてみれば恐ろしいこと・・)

◆(実は)弊所が開催している【勉強会】の目的は、
  勇気を持ってその「間違い」を自覚すること なのです。
(それが【マネーの缶詰めスクール】・・)

あなたにとっては「驚き」と、
やはり自分が思っていたことは合っていたんだ、
という「安心感」が得られるかと思います。

第7回参加者の T・Fさんは、
以下のようにコメントされています・・。

「いちど、勉強会 に出てみましょう。
短期売買はしない!住宅ローンは組まない!
夫婦は共稼ぎ!など、

わたしが漠然と思っていたことが、実は正解だったんだと、
この方のセミナーで確信に至ることができました・・」



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あなたのお金が 世界を旅します


こんにちは、カン・チュンド です。

雨の日も、風の日も、
あなたのお金は あなたのそばで息づいています。
(あなたが意識する、しないに関わらず・・)

例えば、
あなたは今日、自分の財布の中に、
お金がいくら入っているか言えますか?
「・・・・」

(あなたのお財布 は
あなたの資産 と置き換えることができますね)

(ところで)
あなたが お金を手にしない日は
ないですよね?

毎日お金とつき合っているのに、
(もしかしたら)真剣にお金のことを
考えたことがない??

お金は「空気」と同じように、
無くならないと
その有り難みが分からないのでしょうか?

どうです、
たまには 声を掛けてあげてはいかがですか?
「こんにちは」と。
えっ、あなたのお金に ですよ(笑)

この世の中で、
あなたのお金のことを
あなた以上に心配してあげられる人はいません。

あなたは 自分のお金のことを
もっと真剣に考えてあげるべきです。
ケアしてあげるべきなのです・・。

いいですか、
あなたが 自分のお金に対して、
「こうあって欲しい」と規定してあげないと、

あなたのお金は 夢遊病者 のように、
ただふらふらしているだけの存在になってしまいます。

あなたのお金は 息を潜めて考えています。
「ワタシは どんなふうに遣われるのだろう・・」と。
< それを決めるのは あなた自身なのです >


あなたのお金がもし、デパート地下の、
カスタードクリームがたっぷり入った
焼きたてのパンを買うために遣われるとしたら、

あなたのお金は「まあ、しょうがないか」
と思うかもしれません(笑)

その時、
あなたのお金は あなたのもとを離れるのです。
(もう二度と 帰ってはきません・・)

あるいは、
預金通帳の印字として認識されるお金は、
ずっとあなたのそばにいる存在なのかもしれません。

「ふむ。これで安心だ・・」
とあなたは思うでしょうが、
「でも、ちょっと窮屈だな・・」
とあなたのお金は思っているかもしれません。

資産運用のやり方については、
実にいろいろな人が
いろいろな方法論を語っていますが、

お金の立場に立って考えてみると、
あなたのお金 ⇒ ある【資産】のカタチに姿を変え、
その【資産】として成長し、

また お金の姿 となって
あなたのもとに帰ってくること。
それが 運用 なのです(笑)
(帰ってくる、というところがポイントですよ・・)

あなたのお金は 長い長い 旅 をします。
海を越え 世界中 を旅します。


(具体的にイメージしていただくために、)
アメリカの株式 になったり、
ドイツの債券 になったり、

オーストラリアの不動産 になったり、
商品(コモディティ)になったり、
ゴーギャンの画 になったりするのです(笑)

結局 投資 とは、
あなたのお金の可能性 を
最大限に 引き出してあげることなのです。

そして、お金の巡りを
(世界的に)豊かにするために
投資 という作業は存在します。

そうです、
投資には ロマン があるのですよ・・。



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コーラと兵器と空港と・・


こんにちは、カン・チュンド です。

わたしが15年前にインドに行った時、
コカ・コーラ はどこにもありませんでした。

(何らかの理由で撤退したあとでした。
しかし ペプシ はありました・・)

今ではたくさんのインド人が
コカ・コーラ を飲んでいます。
また マクドナルド にも足を運んでいます。

(ちなみに)インドのマクドナルド には、
牛肉・豚肉のメニューは一切ありません【こちら

また【こちら】を見ていただくと、
牛肉の代わりにチキンを用いた
「チキンマハラジャマック」や、

ベジタリアン用の「マックベジ」といった
インド独特のメニューが並んでいるのがわかります。

現地の【文化】を尊重しながらも、
あのインドという国に
「Mのマーク」は見事に入りこんでおり、

これこそ文明の力 と
云えるのではないでしょうか・・。

そして(もちろん)
コカ・コーラ も 文明の象徴 ですね。
< 正確に言いますと(両者とも)アメリカ文明の象徴 >

そのアメリカでは、コカ・コーラの一人あたりの
年間消費量が 約300本 にもなるらしいです。
(1日に 0.82本の計算・・)

一方、アメリカを除いた
世界平均は 約35本 です。

「えっ、他の国の文明の発達度は、
まだその程度なのか?」と、
アメリカ型資本主義なら、考えるかもしれませんね(笑)

文明の象徴と云えば、
インテル や、マイクロソフト もそうでしょう。

ジーンズ もそうですし、
クルマ も エアコン も、
旅客機 も 空港の設計そのもの も、
株式市場 から 企業会計 に至るまで、

◆ 文明とは【世界中で通用する普遍的な商品・しくみ】
  と定義することができます。

わたしが尊敬する作家 司馬遼太郎氏は、その著書
人間の集団について ~ベトナムから考える~」の中で、
兵器もまた、文明なのである。 
と語っています。

その人が属している社会が、
どのような発展段階にあろうと、
あるいはいかなる 文化 を保有していようと、

兵器 という【文明】を目の前に、
期待できる「効果」とその「威力」は
まさしく 普遍的 なのです。

この事実を、
内戦当時の南ベトナムを闊歩しながら
確認した司馬氏の驚嘆は
いかほどのものだったでしょう・・。

(ちなみに)あの コカ・コーラ の
さわやかさも、まさしく 普遍的 です。


さて、経済を専門にしている者は、
【文明】の発展こそが、経済の発展 である。
という「単純なイコール」を結びがちです。

しかし、人間が最終的に
「拠り所」にしているのは、

固有の文化、
あるいはその文化を感じさせてくれる
【空間】ではないかと、わたしは思うのです。

人間は(実は)ふたつの 安心感 を持っています。

・皆と同じモノを経験している、
 つまり【文明】を共有している安心感
・皆とは違った、独自の様式、
 つまり【文化】を体感している安心感

そのどちらも失いたくないというのが、
「現代人の本音」なのかもしれませんね・・(笑)

例えば日本の場合は、どうでしょう?
日本人は【文明】という利器を取り入れながら、
それを巧みにアレンジし、
その中で独自の【文化】を堅持してきました。

はっきり言ってこのことを日本人は
もっと誇るべきです。

文明を受け入れつつも、自分のカルチャーを守る、
ということは(うまくは言えませんが)

未来の 不確定要素 に対する、
一種の【防衛反応】のような気がしてなりません。

【文化】とは、その存在自体が
(時には)疎ましく思ってしまうものです。
(だいたい様式そのものが、合理的でない場合が多い)

しかし、
人間という「生き物」の安定のためには、

一見 無駄 に見えるもの、非効率 なものも
必要なのではないでしょうか?

ちなみに、日本におけるコカ・コーラの
一人あたりの年間消費量は約130本で、

わたしはこれ以上伸びない
(減っていく)と予想しますが
皆さん、いかがでしょうか?

(そういえば、わたしは
 もう何年も コカ・コーラ を飲んでいません・・)






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利己的な動機とは?


こんにちは、カン・チュンド です。

G・W期間中、時間があるという方は
「利己的」という言葉を 辞書 で引いてみてください。

おそらく「自分の利益だけを追求しようとするさま」
云々と出てくるはずです。
(つまり、ネガティブなイメージ・・)

しかしわたしは
この「利己的」という言葉が嫌いではありません。 

自分の 利益 を追求する
= 生きることに執着する ことは、
人間として(というより 生物 として)
当然 のことではないでしょうか。 

(例えば)弊所は
マンションの一室 を借りて事業を営んでいます。

(当然)わたしのお客様は 共用部分 である
マンションの エントランス に入られて、
エレベーターに乗り、事務所 に来られます。 

(平日はそうでもないのですが)
土曜、日曜になると管理人さんがおられないので、

(エレベーターの周辺に)
チラシ や その他のごみ が落ちていることがあります。
(そうです、土、日も仕事をするのです・・笑)

わたしは(ためらうことなく)
チラシ や ごみ を拾います。

しかしそれは「マンションの美化のため」
という思いからではなく、

(恥ずかしながら)第一に、
弊所に来られる お客様 に
「悪い印象」を持たれたくないから、
という 気持ち があるからなのです。

(まさに 利己的な動機 です・・) 

しかし、
わたしのこの【利己的な行動】は(結果としてですが)
「マンションの美化」に貢献しています。  

上記のようなことは
「経済活動」においても見受けられます。

年収を上げたい、最新型のマッサージ機が欲しい、
高い利回りを得たい、クルマを買い換えたい、

息子を私立の中学校に入れたい、
あるいは老後の生活費を工面したい、

という個人の【利己的な動機】が
経済という 巨大な 回転装置 を動かす
「原動力」となっているのです。 

< そもそも 人間の健全な 欲 がなければ、
  経済は成り立ちません・・ >

例えば、ビジネスにおいて
「自社の利益を追求する」とはどういうことでしょうか?

販路 を増やす、中間経費 をカットする、
マーケティング に力を入れる?
(それらも大切ですが、)

自社の 利益 を追求するとは
(巡り巡って)「消費者」のことを真に考える
ということなのです。

「消費者」に満足してもらえる
モノ・サービス を提供しなければ(所詮)
利益 はついて来ないのですから・・。

利己的 →「独りよがりの世界」にならないところが、
経済のおもしろいところ ではないでしょうか・・。

共産主義の欠点 は、
人間の 欲 や、利己的 な面を直視せず、

現実の困難さ を克服するために、
わざと「高いところ」に 理想 を
作ってしまった点 にあると思います。

◆ 人には 欲 があり、
  その 欲 は「進化」するのです・・。

例えば、あくせく働かず
「生きがい」を求めながら生活したい、

毎日を 健康 に過ごしたい、
地球の反対側に住む 一児童の役に立ちたい、

終の棲み家に「こだわり」を持ちたい、
自分が生きてきた足跡を 文章や画像の形で残したい、

有機野菜 を食べたい、
アジアの少数民族のことを知りたい
割り箸は使わず、自分の箸を持ちたい、
クルマは持たず 自転車 に乗りたい
(環境問題を考えて・・)

というように、
人間の 欲 は よりメンタルなもの、
ソフトなものへと「変化」してきています。

(そうです、そこに
 ビジネスチャンス が存在するです・・)



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