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お知らせ


晋陽FPオフィスのカン・チュンドです。

恐れ入りますが、
9月1日(土)~ 9月7日(金)まで中国(上海)、
米国(ペンシルベニア)に出張しております。

9月の4日、5日は
【バンガード・キャンパス・ツアー】と題して、
米国のバンガード本社に行ってまいります。

バンガードインベストメンツジャパンの方のアテンドで、
さまざまなプログラムを用意していただけるようです。

上記期間中、皆様にはご迷惑をお掛けしますが、
ご理解の程どうぞよろしくお願い致します。

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投資信託の未来を握っているのは私たち消費者です (日本経済新聞「電子版」投資信託コラム第45回目)


こんにちは。
インデックス投資アドバイザーの カン・チュンド です。

カネダくん、
今回は「投資信託の品質を作るのは私たち消費者ですよ」
というお話をしています。

○ 家電症候群ってなに?

○ カモになりやすい人を対象に、
複雑でコストの高い投資信託を販売している、
それがこの業界の実態...。

○ いったい誰が悪いのか?
  実は私たち消費者なのです..。

わかりにくい高コスト投信を初心者が買う
日本経済新聞「電子版」投資信託コラム第45回目

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学校なんて、ただの四角い箱です


こんにちは。カン・チュンドです。
(今日は投資とは関係のない話となります・・)

今でこそわたしは、
英語がそこそこ分かるようになりましたが、
学生時代は英語が嫌いでした。
(いや、大キライと言ったほうがより正確でしょう)

大キライ+不得意でしたので、
英語に対しては、
まったく興味が湧かなかったのです。

(プラス、わたしが中学、高校と
授業を受けた英語の先生というのがまた、

インテリを鼻にかけた、
いかにも高学歴を誇るような輩で、
まったく好きになれませんでした・・)

20歳になってアメリカに行こうと決めたときも、
わたしと英語をつなぐ接点は「映画」のみでした。

当時はVHSのビデオしか存在せず、
毎日アメリカ映画を借りてきて、
小さなテレビ画面の下のほうを画用紙で隠して、
来る日も来る日も映画を見ていました。

したがって、
わたしにとって「英語」は、
文法ではなく「口語」です。

わたしにとって「英語」とは、
高度な勉強ではなく、
異なる文化圏で生きるための「同化作業」
そのものでした。

※ 今でも言語の習得は勉強ではなく、
習慣そのもの」と考えています・・。

そしてわたしはアメリカ南部、
アラバマ州に渡ったのですが、

その目的がきちんと「教育」を受けること、
きちんと「学校」に通うことだったかというと、
また、それも微妙です・・。

先ほどの映画の話に戻りますが、
わたしは当時、
「ミシシッピー・バーニング」という映画を観ていて、
米国南部の黒人問題に興味を持っていました。

できれば、米国の南部に行って、
リアルなアメリカ、
本当のアメリカを見たいと思ったのです。

わたしは高校を中退して、
大学入学資格検定を受けたクチですので、
(なんと言いますか、)
昔から【学校】というところがどうも苦手で、
性に合いませんでした。

あの、四角い箱の中の、
上から下まで制御された「システム」、

同じ方向を向いて、
皆と同じように「群れる」ことを
強要される雰囲気が、
どうしても好きになれなかったのです。

(それに、そのシステムの
しもべともいうべき先生たちも、
わたしにとっては
向こう側で「群れている」人たちに見えました..)

個人的な経験ですが、
わたしが出会った学校の先生たちの中で
魅力的だなあと思うひとは、
たった一人しか存在しませんでした。

万一、このブログを今10代の人が見ていて、
その人が、
【学校】という生活空間そのものや、

学校での人間関係
(友達・先生など)で悩んでいるのなら、
声を大にして申し上げたいのです。

その悩みは(あなたの人生の中で)
ぜんぜん大したことありません!】

学校に行かなくても死にませんし、
学校を辞めたからといっても死にません。

たとえ「学校」という道が
いったん閉ざされたとしても、
別の道】は存在するのです・・。

(今、この年になって思うのですが、
学校に行っている期間なんて、
人生時間のスパンでいえばほんの一瞬のこと・・)

ご注意)わたしは勉強をする必要がない、
と言っているのではありません。
今の時代は、学校という場所でなくても、
勉強することは可能だということを申し上げたいのです。

今は、学生生活そのものが、
あるいは、学校の友だちとの交流が、
生活の「中心」を占めていると思いますが、

学校で出会う友だちも(少し冷めた言い方をすれば、)
たまたま一緒にいるだけです。

(40歳を過ぎて思いませんか?)
学生時代の友人と、
今も友だちでいるなんて、ある意味奇跡です。
(ほとんどの学友とは、自然と付き合わなくなるのです..)

そして、
【⇒ ほんとうの人生は、
 学校の門を出たあとに始まります・・】

まだ(人生の)予告編しか観ていないのに、
「ワタシの人生はもうだめだ・・・」なんて、
くれぐれも思ってしまわないように!

わたしなど、
小学校~高校で学んだことなどあまり覚えていません。

皮肉にも、わたし自身が
高校に行かなくなってから読んだ本の中で、

石油とは、太古からの生き物の死骸が
熱で変成して出来たものである・・。―
という一文を発見し、

そうか、自分たちは
「先祖の死骸」で生きているんだということを学び、

その学びこそが
10代のうちで最大のものであったと今でも思っています。

実はわたしも小学生のとき、
いじめられていました。
当時は、学友の多数から「無視」されていました。

当然、「無視」するターゲットは、
移り変わるわけですが、
自分が「無視」されるターゲットから外れ、

今度は別の学友を、
(他のみんなと)無視していたことを、
今でも、とても恥ずかしく思っています..。

私たちは学生時代も、
そして社会人になってからも、
群れ」の呪縛から、
なかなか逃れることが出来ません。

しかし、ヒトは、
群れの原理から進化したからこそ、
ヒトになり得たわけです。

みなと同じである必要はないのです。
(学校なんて、ただの四角い箱です・・)

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塩漬けファンドの引っ越し方法 (日本経済新聞「電子版」投資信託コラム第44回目)


こんにちは。
インデックス投資アドバイザーの カン・チュンド です。

資産運用のご相談でいちばん多いのが、

「(もう持っていたくない)この投資信託、
どうしたらいいのでしょうか?」というもの……。

カネダくん、
塩漬けファンドの解決策は、
江戸時代の引っ越しを行うことにあるのです。
「えっ、それってどういうことですか?」

いちばん重要なことは、
塩漬けファンドを売ることではなく、
持つべき投資信託へ(ポートフォリオごと)
「引っ越し」ができるかどうかなのです。

その「プロセス」を詳しく解説していますよ。

 【塩漬けファンドの引っ越し方法
日本経済新聞「電子版」投資信託コラム第44回目

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投資信託は誰のモノ? その2)


こんにちは。
インデックス投資アドバイザーの カン・チュンド です。

終戦から67年が経ち、
戦争」を直接経験した人がどんどん少なくなっています。
また「戦争」そのものの記憶も年々薄らいでいます。

しかし「戦争」によって作られた「しくみ」は、
意外にも、私たちの生活に根深く残っているのです。

たとえば、1940年に始まった「源泉徴収制度」。
国家がお金の管理をしやすくするために、
一元的、かつ集権的な仕組みを作ったのですが、

(もちろん、それは
戦争という非常時に対応するためだった・・)

意外や意外、2012年の世の中になっても、
当然の如く続いてしまっていますね・・。

「税金は源泉徴収するから、
余計なことは考えなくていいよ」
という国家のメッセージは、

「お金は預金・貯金に預けていなさい。
余計なことは考えなくていいよ・・」
というメッセージにどこか通じます。

○ うがった見方をすれば、
国民があまり賢くならないように、
国家が必死に手綱を握っている・・

その延長上に、
金融のしくみも存在している可能性があるのです。

梅屋敷商店街のランダム・ウォーカーの水瀬さんも
こちら」で記事にされていますが、

○ 角川総一さんが書かれた
日本の投資信託の多くは
 政策遂行の道具として利用されてきた

というコラムは、

投資信託の歴史を俯瞰する上で、
外せない名文だと思います。

(以下、角川総一さんのコラムを
簡単にまとめてみました・・)

戦争が終わり、GHQの指令によって、
「農地解放」が行われたことは有名ですが、

GHQが主導した、
財閥の解体命令、財産税の徴収などにより、
大量の株式がマーケットに吐き出されます。
(当然、需給の悪化で株価は下落します・・)

そのとき、国は対応に迫られ、
以下のような施策を打ち出しました。

・生命保険会社への買い出動要請
・信用取引制度の確立
・株式担保金融の実施
・株式保有組合の設立

それとともに、
大蔵省が画策したのが、
証券投資信託」の整備だったのです。

つまり、戦後も国の主導で、
投資信託という道具は利用されてきた・・、
これが実態としてあるのです。

更に、角川総一さんの筆は
鋭く切り込みます。

○ 1961年に登場した長期公社債投信

高度経済成長期に入る中、
企業が社債発行による資金調達を活発化させた。
しかし、社債の買い手を確保するのが難しい・・。

そこで長期公社債投信を作り、
個人投資家を社債の購入者に充てた。
(あらかじめ予想分配率を提示し、
購入しやすい仕組みも整えた・・)

○ 1980年に登場した中期国債ファンド

70年代後半には高度経済成長は終焉し、
税収不足を補うため
国債が大量に発行されるようになった。

国債そのものの多様化も図られたが、
償還期間2年、3年、4年という「中期利付国債」の
消化が思うようにいかなかった。

そこで、証券業界が大蔵省に
「中期国債を主体に運用する投資信託」の
開発を打診した。

○ 2001年に登場したETF

(えっ、ETFまで?)

当時、不良債権処理が最終段階を迎えていた。
また、銀行などの株式持ち合い解消も本格化する。

持ち合い株式が市場で大量に売却されると
株価は大幅に下落しかねない。

そこで株式の受け皿として、
日経225やTOPIX(東証株価指数)を構成する
銘柄の株式をまとめてバスケットで拠出させ、
それに見合うETF(有価証券)を発行した。

(最終的には流通市場で投資家が購入する仕組み・・)

実は、いちばん最後の
ETFの組成に関しては、
日本に先んじて、
国家主導で組成 ⇒ 流通させたところがあります。

「香港」です。

1997年7月に「アジア通貨危機」が発生したことは
記憶に新しいですが、
この「アジア通貨危機」を受けて、
香港市場は大きく下落します。

(投機筋による猛烈な「空売り」に遭ったのです..)

香港当局は「株式」を買い支えるため
マーケットに介入しました。
その結果、ハンセン指数全体の時価総額の
約7%もの「株式」を保有するに至ったのです。

香港当局は保有する「株式」を
売却したかったのですが、
マーケットの暴落も防ぎたいというジレンマに陥ります..。

そこに格好の【出口戦略】として
浮上したのがETFだったのです。

香港当局は 保有する「株式」を
ハンセン指数に連動させる形で
ステート・ストリートに売却します。

ステート・ストリート は
現金の換わりに「有価証券」
(= Tracker Fund of Hong KongというETF)を
香港当局に交付しました。

そして、99年の11月、
Tracker Fund of Hong Kong は香港市場に
上場を果たします。

香港当局は結果的に、
時間をかけて市場で
ETFを売却することができたのです。

(「買い手は?」
もちろん、個人、法人などの投資家でした..)

いつの時代も、どんな国・地域でも、
「国家」と「市場」は綱を引き合っています

投資信託、ETFが官製で生まれたとしても、
それを育てていくのは、
ひとりひとりの消費者の意思です。

消費者が「こちらがいい!」と意思表示し、
行動すれば、
商品供給側はそれに従うしかありません。

投資信託というマーケットの
将来を握っているのは、私たちの側なのです・・。

*********************
マネーを学べば、世の中の見方が変わります。
*********************
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| 投資信託をディープに理解する | 11:21 | comments:0 | trackbacks:0 | TOP↑

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投資信託は誰のモノ?


こんにちは。
インデックス投資アドバイザーの カン・チュンド です。

突然ですが、今あなたが100億円を持っていたら、
どうしますか?

この、「どうしますか?」は、
100億円の資産の管理を、

1.あなた自身が行いますか?(それとも)
2.誰かに管理・運用を委託しますか?
という意味ですよ・・。

おそらく、多くの人が
2.誰かに管理・運用を委託する と
答えられるのではないでしょうか。

(なにせ100億円ですから・・)

結局のところ、
運用の起源というものは
上記のような事例が「発端」となっています。

昔むかし、
王侯貴族や資本家などのお金持ちが、
誰かにその資金管理を任せたのが
(要するに)資産運用の始まりなのです。

今、あなたが100億円を持っているとしたら、
実感できると思いますが、

真のお金持ちにとっては、
お金を殖やすことより、
お金の価値を維持していくことのほうが
ずっと大切なはず・・。

雇い主(お金持ち)の意向が、
お金を殖やすことより、
いかにお金の価値を維持していくかにあるわけですから、

運用会社(雇われた側)は、
リスクの分散と、リスクの管理に重きを置いた
資産運用を行うようになります・・。

(そうですよね?)

たとえば、通貨の分散を心がける
株式、債券を適度に組み合わせるなど、
リスク管理のノウハウが、
長い時間をかけて醸成されてきたわけです。

(そして、近年になって
上記のようなノウハウが
個人の資産運用にも降りてきたのです・・)

投資信託という道具も、
このようなプロセスの途上で
生まれたきたツールなのでしょう..。

日本でも明治、大正期と、
リスクマネーが縦横無尽に行き交い、
資産運用のビジネスが
大きく飛躍する可能性を秘めた時代がありました。

しかし、他の商品、サービスと同じように、
戦争の足音が、
ビジネスの萌芽を摘み取ってしまいます。

藤野英人さんの
ビジネスに役立つ「商売の日本史」講義】に
詳しく書かれていますが、

日本では1940年に
投資信託の歴史が始まります。

しかし、それは、
需要側からの「こういう運用の道具があればいいなあ」
という発露ではなく、

国家が投資資金をまとめて管理し、
また、軍需などの重点産業にお金を回りやすくするための
道具であったのです。

日本においては、
投資信託は最初から「官製」だったのですね..。
(そして、投資信託の管理は、
大蔵省の規制が及ぶ証券会社に委ねられます・・)

証券会社とは、
株式市場の発展とともに出現した「仲介会社」です。

つまり、欧米、特にヨーロッパにおいては、
証券会社の歴史より、
資産運用会社の歴史のほうがうんと長いわけです。

(ところが日本では逆で、
証券会社の歴史より、
運用会社の歴史のほうが浅い・・)

歴史時間という長いテーブルで思考すると、
投資信託は、
日本の証券業界の暗部を照らす光であると分かります。

似顔絵




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