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峯吉、1860年、咸臨丸、サンフランシスコ


こんにちは。
インデックス投資アドバイザーの カン・チュンド です。

実はわたしが
カン・チュンドになったのは
二十歳を超えてからで、

それまでは
日本名(通名)を名乗っていました。

(ちょっと大げさにいうと)
十代までのわたしと、
二十歳以降のわたしは、別人です。

それまで、
自分は周りの人たちとは
ちょっと「色」が違うんだと、

自身のバックグラウンドから
重々分かってはいたのですが、

わたし自身、
別に本名を名乗るわけでなく、
韓国語が流暢にしゃべれるわけでもなく、

なんとなく皆と
同じ色」のふりをして並んでいたのです。

(でも「やっぱり違うんだ・・」という「しこり」が、
体のあちこちで存在していました..)


そんな自分の【わだかまり】を
スッキリさせてくれる
きっかけを与えてくれたのが、

司馬遼太郎さんの「アメリカ素描」でした。

わたしはこの本を読んで、
19歳のときに
はじめてアメリカに行きました。

そして、その後、
本名を名乗っていこうと決意しました。

単純な話です・・。

「ああ、世界って広いんだ。
自分がやりたいように生きていけばいいんだ」
とそのとき思えたのです・・。



115236_l.jpg


この「アメリカ素描」の中で、
サンフランシスコの【日本人墓地の話】が出てきます。

今回、たまたま仕事で
シスコに行くことが出来たので、

ぜひ日本人墓地に行き、
咸臨丸の火焚きだった峯吉の墓に参ろうと思ったのです。

司馬遼太郎氏は「アメリカ素描」の中で、

日本における幕末の騒乱は
ペリーのドア破りからおこり、
十五年後に明治維新が成立した。


と書いています。


この15年はまさに
動乱の時期なのですが、

(実は)江戸幕府は
ペリーショックからわずか6年後の1860年に、
遣米使節団の一環として「咸臨丸」をアメリカに派遣します。


images.png


この船には艦長として勝海舟が、
また、福澤諭吉やジョン万次郎らも
乗り合わせていました。

40日弱の航海を終え
サンフランシスコに
寄港した咸臨丸ですが、
過酷な環境の中で病気になる人も出ました。

「アメリカ素描」の中では

火焚きの峯吉(当時37歳)、
そして香川県の塩飽列島出身の富蔵(当時22歳)、
源之助(当時25歳)のことが記されています。

上記の三人は、
サンフランシスコで悲運の死を遂げ、
この日本人墓地に葬られました。

三人には名字がありません・・


かの日本人墓地は、
サンフランシスコの郊外 Colma にあります。
(ダウンタウンから車で20~30分の距離です)

そこは壮大なセメタリーで、
大きなイタリア人墓地が近くにある中、
日本人の墓地は
その奥にひっそりと佇んでいました。


わたしが訪れた日は、
海のコバルトブルーを
そのまま空に映したような青空で、
心地よい風が吹いていました。

ひとつひとつ「お墓」を見ていくと、
1970年代や
1980年代のものも散見されました。

(キリスト教に改宗した人が
多いせいでしょうか、)
教会形式の墓が多いのが印象的でした。


この日本人墓地の中で、
もっとも古いお墓が
峯吉、富蔵、源之助のものです。

その古いお墓は
文字の判読も難しくなっており、

はるか昔に、
右も左も分からぬまま、

異国の地で亡くなった
火焚きの人たちのことを思うと、
胸が締め付けられるようでした。


しかし、わたしは、
ここに、日本人が青春だった頃の
【原点】があると思うのです。


◆ 咸臨丸に乗って
サンフランシスコに着いた日本人たちの、
驚きの大きさ】とは
いかほどのものだったでしょう・・。


Kanrin_Maru_members.jpg

(当時はまだ、皆「ちょんまげ姿」だったのです)


いつの世も、
大きなただならぬ【変化】が
私たちの生活を翻弄します。

私たちはそれまでの生活や慣習、
ときには価値観をも覆され、
時代の変化に対応することを迫られます。

その【旋回の大きさ】に、
今、21世紀を生きる私たちも
苦慮しているのですが、

150年以上前に、
日本人が経験した
【旋回の大きさ】に比べれば、

(今のそれは)
米粒のようなものだと思いませんか?


日本人はあのとき、
突如開いた【大海原】に驚愕したのです。

そして、怯むことなく
突き進む道の「遠さ」に奮い立ち、
結果、アジアではじめての先進国になりました..。


163861447.jpg


司馬氏の「アメリカ素描」によると、
ペリーショック(1853年)からわずか3年後に、

「自分達も、あの黒船を造ってみよう!」
ということで、

佐賀藩、宇和島藩、薩摩藩の三藩が
国産の蒸気船の建造を試みた旨が
記されています。

なんと若く、柔らかい「好奇心」でしょう・・。


そこには、
できるかできないかで悩むのではなく、
まずはやってみる!」という
精神が溢れています。


幸い、私たちが生きる21世紀は、
領土を奪い合うような
身体的な若さが求められるわけではありません。

柔軟な思考、
そして、経験から醸し出される
洗練されたアイデアを、
日本人は持っているはずです。


峯吉は、おそらく150年後に、
日本がこんな経済大国になるとは
夢にも思っていなかったことでしょう。

日本人はリスクを取って
自身の潜在可能性を押し広げ、
【大きな投資】に何度も成功しているのです。

日本人墓地

「日本人墓地」サンフランシスコ郊外 Colma





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