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ETF、夜明け前・・『誕生秘話』 その2)


こんにちは。
インデックス投資アドバイザーの カン・チュンド です。

CIPsやEIPsという「実験商品」を通じて、
アメリカン証券取引所のモストさんは

この新しい金融ツールの完成のためには
横断的な取り組みが必要だと感じ始めます。

前回のお話を少し思い出してみてください・・。

コモディティの世界では、
【巨大な倉庫】があり、
そこに実物の商品が保管されています。

それを現物で受け渡すことは
実際上出来ないので、

特定のコモディティ、特定の数量を表す
【番号札】(受領書)が
売買に用いられるとお話ししました。

そこで
モストさんは考えたのですね。

ほんとうは
純粋なペーパー資産である株式について、
(あえて)【倉庫】をイメージしてみる。

【倉庫】の中に、
「株式バスケット(指数を構成する)」が
入っています。

そのバスケットを表す【番号札】(受領書)
そのものを、売買することは出来ないかと・・。

より正確に云うと、

「株式バスケットの
請求権を有する預託証券」
を、
新しいツールとして上場できないだろうか?
という視点ですね。

実際、現存する最古のETF
「スパイダー S&P500 ETF」が上場した際の名称は

Standard & Poor's Depositary Receipts
(スタンダード・アンド・プアーズ 預託証券)
だったのです・・。


実は、
上記アイデアにぴったり当てはまるビークルが

『ユニット・インベストメント・トラスト』(UIT)
でした。

UITは投資信託の一形態なのですが、
あまり使われることがありませんでした。

⇒ このUITを、
【倉庫】そのものであると
イメージしてみてください。

【倉庫】内では、
固定的なポートフォリオが保有されています。
(S&P500に連動するものなら、
完全法によって500社の株式を保有するイメージ

UITとは密封された【倉庫】ですから、
株の貸出を行うことは出来ません。

また、個々の株式から得られた配当金を
【倉庫】内で再投資することも出来ません。


UITという【倉庫内】では
個々の株から出される配当金は
現金のまま溜まっていき、

(ETFの)の分配金として
投資家に支払われるのです。

⇒ このUITというビークルでは、
通常の投資信託(Investment Company)
で云うところの、

「ファンドマネージャー」「取締役」が必要なく、
継続コストを抑えることが可能になります。

(厳密に云うと、
UITでは運用を行う必要すらないのです

これは換言すると、
【倉庫内】の株式バスケットを保管・管理する
【受託会社】の役割が増すということ・・。


時は1989年、
アメリカン証券取引所のモストさんは
受託者としてふさわしい銀行を探すことになります。
(以下の3つの金融機関が候補に挙がりました)

・ウェルズ・ファーゴ銀行
・バンク・オブ・ニューヨーク
・ステート・ストリート

ウェルズ・ファーゴ銀行はこちらの記事にも
書いたように、

世界で初めて
インデックスファンドを組成し、
1989年当時、
もっとも大きなインデックス運用会社でした。

しかし、ウェルズ・ファーゴ銀行の本社は
サンフランシスコにあり、
(アメリカン証券取引所はニューヨーク)

単に予算上の問題から、
外さざるを得なかった
のです。

「そう、あんまりお金がなかったのですね・・。」


また、モストさんは
バンク・オブ・ニューヨークにも出向きますが、
なかなか商品のコンセプトを理解してもらえません。

そして、ボストンの
ステート・ストリートを訪れることになるのです。

そこで、ステート・ストリートの
ダグラス・ホームズ氏と出会います。

(この【出会い】こそが、
ETFの発火点と云っても過言ではないでしょう)

以下、『余談』になるのですが、
もし、出張費をなんとか捻出して、
アメリカン証券取引所の人たちが
サンフランシスコに飛び、

ウェルズ・ファーゴ銀行と「合同チーム」を
作るに至っていたら、
ETFの歴史はどう変わっていたでしょうか?

実はウェルズ・ファーゴ銀行、
正確には「ウェルス・ファーゴ・ニッコー」が
行っていたインデックス運用ビジネスは、

1995年、バークレイズ・グローバル・インベスターズ
(BGI)に売却されることになるのです。
(BGIとは、
iシェアーズを立ち上げたETFプロバイダー)


ステート・ストリートの
ダグラス・ホームズさんは、

アメリカン証券取引所の
「新しいツール」の本質を
完全に理解していました。

アメリカン証券取引所と
ステート・ストリートは
『合同チーム』を作り、

法律事務所とも連携しながら
ETFという金融商品の誕生を目指します。

ETF.jpg

しかし、
SEC(米国証券取引委員会)を説得し、
ETFが上場の承認を受けるまでに
ナント4年もの月日を要したのです・・。

「どうしてそんなに長くかかったの?」
とあなたは思われるかもしれません。

その最大の理由は、
当時の感覚でいうとETFは
『指数先物型』の商品としてのイメージが強く、

これを、
1940年投資会社法による
投資信託(Investment Company)と見なすための
法律上のハードルがいくつも存在したためなのです。


ETFの最初の着想は
明らかに『指数先物型』でした。

しかし「株式バスケット」という
現物資産の裏付けがなければ、
商品としての信頼性は欠けてしまいます。

合同チームは、新しいプロダクトが
株式市場で「銘柄」として
取引されることを望みました。

⇒ この点で云いますと、
上場ファンド(クローズド・エンド・ファンド)
という先行事例があります。

しかし、既存の上場ファンドでは、
『市場価格』と『理論価格』のかい離が
しばしば起こっており、
投資家の信頼を損ねる場面がありました。

先物・オプション取引に
精通していたモストさんは

新しいプロダクトに
【裁定取引】の仕組みが必須であると
感じたのです。

(これは↑『市場価格』と『理論価格』の
かい離が生じさせないようにするため)


また、通常の投資信託のように、
口数が変化する『仕組み』
不可欠であると感じていました。

⇒ 通常の投資信託では、
資金流入が資金流出より多いと
「口数」が増加します。
(その逆もしかりですね・・)

しかし、上場ファンド
(クローズド・エンド・ファンド)では、
「口数」の増減が行われず、
ときに流動性の維持が困難になっていたのです。

1.UIT(ファンド)として
株式市場に上場させながら、

2.しかも口数の増減を可能にし、
3.そして裁定取引の仕組みも内包する。

そのようなプロダクトが
今日「ETF」と呼ばれる金融ツールなのです。

もちろん、上記のような
ユニークな特徴を保ちながら、
継続コスト(年間経費率)を抑えることも
必須でした。

なにしろインデックス投資では、
「バンガード500インデックス・ファンド」が
すでに存在し、

当該ファンドの年間経費率は当時でも
年0.2%程度であったからです・・。

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