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絵の役割は時代とともに変わってきた・・


こんにちは、カン・チュンド です。
(今日は投資の話題ではありません。)

私たちは文明の利器に溢れた時代に生きているため、
「何かがない状態である」ということを
想像しにくくなっています。

たとえば「カメラ」です。

1850年代に普及し始めたカメラは、
ものの有り様を写し取ってそのまま残すという、
画期的な発明でした。

すなわち、「絵」の意味合いを
大きく変えてしまった道具なのです。

(そういえば、坂本竜馬や高杉晋作の写真も
残っていますね・・)

世の中が、もっと牧歌的だった
300年前、400年前のことを想像してみてください。

私たちの祖先は、私たち以上に
「すばらしい風景」を観て感動していましたが、

残念ながら、その景色を
瞬間冷凍パックのように残す術(すべ)を
持ち合わせていませんでした。

おそらく(これは)何千年も前から、
ヒトの衝動としてあったと思うのですが、

景色や人や、
動物や植物の「カタチ」を残したい・・
(そして、誰かに伝えたいという気持ち)

これこそが、
人が「絵」を描く最大のインセンティブに
なっていたのではないでしょうか。

「絵」とは、人の姿を伝え、風景を残し、
人間の風俗を写し出すものです。

私たちが想像する以上に
カメラがない時代の「絵」は、
生活の中で【重要な存在】であったと察します。
(まさに、時代の考証物だったのです・・)

しかし、「カメラ」が出現することで
「絵」の役割ががらりと変わってしまいました。

もはや風景や人を正確に写し取る役目は
カメラという道具が担えるわけですから、

「さて、私たちはどんな絵を描くべきなのか?」
という命題を、画家たちは突きつけられたのです。

「絵? 絵なんてもう、 世間の片隅に追いやられるよ」
という人もいれば、
「これで絵は、写実という束縛から解放される」
という人もいました。

皆さんご存知のとおり、
19世紀後半から20世紀初頭にかけて、
「絵」の世界では数々の天才が登場します。

これはただの偶然ではなく、
上記のような歴史的背景があったからなのです。
(時代の要請ですね・・)

私事ですが、
20代はゴッホに心酔していました。
(今でも好きですが。)

が、最近はゴーギャンの絵に、
革新の息吹を感じます。

黄色いキリストのある自画像
黄色いキリストと自画像と、
ナゾの赤い物体。

ある解説書によると、
三つの対象はいずれもゴーギャン自身の投影として
描かれているのだとか。

説教のあとの幻影》ヤコブと天使の争い
これは「写実」を拒否した、
まさに「観念」の絵です。

人や風景を写し取ることを拒否して、
心象の中にあるものを掘り起こし、
大胆に構成して描こうとした・・

それはすなわち絵が、
本格的に「抽象の世界」に足を踏み入れたということです。

これまでの「延長」では、
これ以上進むことは不可能だ・・

そう思われる状況から、
物事の進化を試み、
実際に発展させてきたのが私たち先人の歴史です。

それは芸術でも、
経済の営みでも同じではないでしょうか。

ひとつのしくみが行き詰まりを見せ、
「もう、ダメになるのではないか」と思われるところに、

人は新たなスタートラインを引いてきたのです。
(これからだって、もちろん引けます。)




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