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ベトナム奇譚


こんにちは。カン・チュンド です。
もう20年も前の話になります。

わたしは米国留学のスタートとして、
アラバマ州モービルにある「Spring Hill College」付属の
語学学校に通っていました。

そこでベトナム人の青年ヒップと出会います。
(彼はSpring Hill Collegeの本科の学生でした)

ヒップは5歳のときにアメリカに亡命しています。
両親はベトナム戦争で亡くなっており、
彼の境遇そのものが『歴史の一ページ』といえます。

では、彼のキャラクターが
鬱屈して悲壮感に満ちていたかというと、
まったくそんなことはなく、

ヒップはどこにでもいる
(けっこう調子乗りの)明るい青年でした。

アラバマ州モービルは古い港町で、
わたしが居た当時で
人口20万人くらいのこじんまりとした町でした。

夏は日本に似て、湿気を伴う暑さがあるのですが、
(かつ、晴天の日が多いのですが)
秋から冬にかけては急に寒くなり曇天の日が続きます。

ちょうど、今時分(10月)だったでしょうか。
週末の夜、
「今日はちょっと遠出しないか」とヒップに誘われ、
私たちはモービルの郊外にクルマを走らせました。

普段は、学校とショッピングモールと
市の中心部にしか行っていないので、

郊外のほの暗い、どこか寂しげな風景は
まったく違う町に迷い込んだ気持ちに
わたしをさせました。

30分ほど走ったでしょうか。

郡部に続く幹線道路沿いに、
一軒の小さなレストラン
(というよりは「食堂」に近い)があり、
そこにふたりは入りました。

ドアを開けると、いかにもアジア的な、
妖しいピンク色の照明がほどこされ、
ベトナム人のひとが歌を歌っていました。
中にいるのは全員ベトナム人です。

口の中に柔らかな物を入れたような優雅なベトナム語は、
わたしにはなんだか宇宙人のことばのように聞こえます。

自分は(確かに)アメリカにいるはずなのに、
ここだけがアジアの小コミュニティーのように
浮き立ってみえるのです。

流れてくる曲の伴奏が、
アジアの田舎の
もの悲しい日常を想起させるように奏でられ、

その歌を歌う人も、
忠実にメロディーを追いかけ、
ひと言ひと言、噛みしめるように歌っています。

「チュンド。ここが僕のルーツだよ」と、
ヒップは少し照れながらわたしに言いました。

それにしても、アラバマ州の古い港町に
こんなにベトナムの人がいるとは驚きです。
おそらく全米各地に、何十、何百という
ベトナム人の小コミュニティーがあるのでしょう。

「チュンド。この人が僕の叔父さん」
と紹介されたヒップの叔父さんは、
目や鼻はベトナム人なのですが、
体はアメリカナイズされて太っていました。

その後、
わたしはヒップとともに叔父さんの家に行き、
夕食をご馳走になりました。
(鶏を用いたベトナム料理でした)

ふと見上げると、叔父さんの家のリビングの壁に
勲章をたくさん付けた軍人の写真が掲げてあります。

「この人、誰なの?」
「僕のおじいさん。南ベトナムの軍人だったんだ」

わたしは「へえ、そうなんだ」と応えながら、
ヒップが歴史の落とし子であることを実感していました。

彼とはそれ以来、
毎年クリスマスカードを送り合っていましたが、
いつの間にかそれも途切れてしまいました。

ヒップは今、どこかの化学会社の
研究者にでもなっているのでしょうか。
(彼の専攻は化学でした)

「チュンド。僕は今はただの貧乏学生だけど、
将来は、ちょっとは名の知れた人間になってみせるよ」

わたしは今月、彼の故郷であるベトナムに出かけます。



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| 2009年 ベトナム奇譚 | 09:55 | comments:0 | trackbacks:0 | TOP↑

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